平成最後の「平成狸合戦ぽんぽこ」制作の舞台裏。高畑監督が伝えたかったこととは?
平成31年4月5日21時より『金曜ロードSHOW!』 にて最後の「平成狸合戦ぽんぽこ」が放映されました。
「平成狸合戦ぽんぽこ」をご覧いただきありがとうございました😌今日は高畑勲監督が亡くなってちょうど1年となる命日でしたが、監督のメッセージは皆さんに届いたカナ🙂#平成狸合戦ぽんぽこ #高畑勲 pic.twitter.com/NrfTCAb8km
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) 2019年4月5日
高畑監督が初めて書き下ろした完全オリジナル作品です。
制作秘話について語られていましたのでまとめさせていただきました。
ぽんぽこ誕生秘話
高畑勲監督と宮崎駿監督。二人が出会ったのは56年前、「東洋のディズニー」を目指して設立された東映動画でした。当時27歳だった高畑監督はTVアニメの演出の仕事をしていました。そのころ22歳だった宮崎監督が入社してきたのです。→続く#平成狸合戦ぽんぽこ #ぽんぽこ #高畑勲 #宮崎駿 #東映動画 pic.twitter.com/4v3AHfkHio
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→続き)2人は労働組合の活動を通して親交を深め、共に労働闘争に奮闘していきます。まさに「平成狸合戦ぽんぽこ」の狸たちのように「いい映画を作ろう!」という熱い思いを共有し、高い理想を持ってアニメ制作という現場でも戦っていたのでした。#平成狸合戦ぽんぽこ #ぽんぽこ #高畑勲 #宮崎駿 pic.twitter.com/HgzdfFlT48
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→続き)その後、高畑監督は様々なリサーチを進め、中身を固めていく中で「開発の荒波をまともにかぶったタヌキたちの、止むに止まれぬ生き残り作戦」として話を 膨らませ、「この激動と戦乱の時代をタヌキたちはどう生き、どう死んでいったのか」などを描く「平成狸合戦ぽんぽこ」が誕生したのです。 pic.twitter.com/OsknSk6ovV
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ジブリ作品で高畑監督『平成狸合戦ぽんぽこ』制作のきっかけは、『紅の豚』制作中の宮崎駿監督の「俺が豚をやったんだから、高畑さんには狸をやってもらおう!」という一言でした。初めて試写を見た宮崎監督は、最初から最後までずっと泣いていたそうです。
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制作にあたって、タヌキに関する資料が大量に集められました。民話だけで32冊、タヌキの生態に関する本や図鑑が27冊、多摩やニュータウンの歴史に関する本も含めて全66冊。集められた資料をもとに、イメージボードが作られていったそうですよ!#平成狸合戦ぽんぽこ #ぽんぽこ #高畑勲 #タヌキ pic.twitter.com/yPUn7qoKNk
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モデルとなった場所
『平成狸合戦ぽんぽこ』金長神社出ました。モデルというかまんまじゃ pic.twitter.com/YN3O4uLRfR
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『平成狸合戦ぽんぽこ』のエンディングと『耳をすませば』のオープニング比較
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同じ多摩ニュータウンが舞台 pic.twitter.com/0sgDpbmDwI
ジブリ作品で初めて春夏秋冬を通した季節の変化が描かれました。
作品を通して伝えたかったこと
「平成狸合戦ぽんぽこ」で #高畑勲 監督は特定の狸を主人公とはせずに、様々なキャラクターを登場させることによって、作品は「狸たちの群像劇」となっています。その背景には多摩のタヌキ達が「集団として」どのような運命をたどったのかということを描きたいという思いがあったのです。
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#ぽんぽこ pic.twitter.com/vhA5HqU8bT
宮崎駿監督は『平成狸合戦ぽんぽこ』について「我々も今や狸だ」と語っています。住みやすい場所が失われ、栄養ドリンクを飲みながら、化け続けて生きてゆく。これは狸の話であるとともに、故郷を追われ、人間に化けている狸たち(私たち)の話でもあるのです。#平成狸合戦ぽんぽこ #ジブリ
— おとぎと挿絵 (@otogi_art) 2019年4月5日
素敵な作品をありがとうございました。